北アルプス縦走 笠ヶ岳~黒部五郎岳~薬師岳~赤木沢

笠ヶ岳~双六岳~黒部五郎岳~薬師岳~雲ノ平周遊~読売新道~東沢谷~赤木沢
‥2001年7月30日~8月11日
‥中尾秀高・井上浩平・米澤清文・伊東晃男・古城海太
笠ヶ岳へ続く先の見えない急登を登った。三俣蓮華から見た遠い遠い薬師岳にいつの間にか立っていた。この合宿で三度も通った岩苔乗越が三度とも違って見えていた。高天ヶ原の温泉は白く濁っていたけれど、黒部の水は澄んでいた。今、黒部を彷徨っていたその時々に何を感じたのかを色々と思い出す。しかし、その時々に、その時々のことだけではなく、その次のことも考えていた。いつものことだ。
それは山における一つ一つの通過点だけではない、日常の一瞬一瞬も同じ。振り返れば、自分の過ごした時間が増えていく。けれど、本当はカウントダウンが進んでいるだけだから、自分のその時々を大切にして、同時に、その先その先を考えていくことが、その次の瞬間に立ったその時を大切にすることになるんじゃないかな。
これは一つの通過点だった夏のこと、そして、これから冬山を迎える

■記録

2001年の夏合宿は、主将の僕が笠ヶ岳、薬師岳、赤木沢の3本柱を中心に計画した。部員の減少傾向は青学山岳部にも見られ、4年は自分一人という状況で、半ばやりたいようにやれるのではあるが、3年以下をひっぱりこむのに苦労する。ひっぱりこんだらひっぱりこんだで、ひっぱっていくことに苦労する。それでもなんとかひっぱって行く。
愚痴はさておき、合宿前半は4年生までのA隊3人は縦走とロングラン、5年生のB隊二人は縦走とロングランはご馳走様ってことで、僕らA隊がヒーコラ歩いている時に、上ノ廊下を悠々泳ぐことに。そして、合宿後半は奥黒部ヒュッテでA隊とB隊合流したのち奥ノ廊下と赤木沢を遡行して、神岡新道から下山することになった。
■7月29日
部室で準備をしていると永井OBが来て、自家製ケーキと紅茶を差し入れてくれた。毎度美味いんだな、このケーキが。当初30日早朝にバスで新宿発の予定だったが、29日の急行アルプスで行くことになって、8時には新宿駅に並んだ。晩飯は新宿駅東口に見つけたお好み焼き屋で、なかなかに可愛いおねーさんが・・・・・・。ホームに戻ると2年の真鍋が待っていて菓子を差し入れてくれた。入れ替わりに萩原監督が見送りに来て下さって、ビールの餞別までもらってしまった。
差し入れをしてくれた真鍋、萩原監督、永井OB、菊池OBに感謝。

■7月30日(晴)
松本駅-槍見温泉7:25-9:30クリヤの岩舎(幕営)
夜行列車で寝られないなんてもはや昔話、松本駅を寝過ごさないことが第一核心部だ、などと考えていたら眠りが浅くなってしまった。あまり寝付けないうちに松本駅を下車。一年の米澤が下宿の新聞配達を止め忘れたことを思い出して騒いでいる。
どうせ早く行ってもしょうがないし、松本駅からは新穂高行きのバスに乗る予定だったから、初めはタクシーを無視していた。そしたらしまいにタクシーが一人3000円(バス2800円)で行くと言うので乗ることにしてしまった。タクシーの運ちゃんには途中のコンビニで缶コーヒーまでおごってもらう。運ちゃんの身の上話を聞きつつ眠りそうになりながら入山口の槍見温泉に6時過ぎには着いてしまった。
ゆっくり出発し、ゆっくり歩いたが9時半頃クリヤの岩室に着きツエルトを張る。今回は後半に沢が控えているので、ツエルトで合宿なのだ。軽量ツエルトに内フレーム、フライシートのツエルト完全装備は軽いし、居住性もテント並でちょー快適っ! 水は錫杖沢を少しのぼった錫丈の岩舎前に流れている。錫丈の岩場を間近に見ていると錫丈定着をしたくなってくる。

■7月31日(曇のち晴)
TS4:35-8:15クリヤの頭を巻く-11:15笠ヶ岳山頂12:15-12:30笠ヶ岳山荘TS(幕営)
4時にツエルトをたたんでみたが失敗、まだまだ暗くて結局4時半過ぎに出発、谷の夜明けは遅かった。暫くは広い谷の中の木が鬱蒼と茂った中を行くのだが、間もなく傾斜が出はじめ標高差600mの急登に入る。曇ってて景色も見えず、先の見えない苦しい登りだが、途中にあった良い水場に救われた。水分補給して急登を越え雷鳥岩を回り込んだところで改めて笠ヶ岳南面の大きな姿が視界に入る。かなり登ったはずなのに、でかい。誰からともなく「デケー」という声が。
登りでは誰にも会わなかったので頂上も静かなものだろうと思ったが、思いのほか人がいて驚いた。でも僕らもその中に含まれているんだよな・・・・・・。 誰かが電話でしている、と思ったら、米澤だ。止め忘れた新聞を止めるために電話しているらしい、止めることができた本人はやたら嬉しそうだしこっちも笑ってしまった。でも山に来る前に止めろよ、次からは。
晴れてきた頂上でゆっくりし、笠ヶ岳のテントサイトにはすぐに着いてしまった。

■8月1日(晴)
TS4:40-5:30抜戸岳5:45-8:05大ノマ乗越8:15-9:55双六岳10:30-13:00三俣蓮華岳13:15-14:40三俣蓮華岳TS(幕営)
曇りがちの中、体操して出発。登山道から少しだけ外れている抜戸岳のピークを往復して長い一日がスタートした。秩父岩の白い岩肌と緑の草木のコントラストが爽快だ。大ノマ乗越の前後から行き交う人が増え、昨日の辛くも静かな登りが懐かしい。双六小屋の前で大休止すると三俣の小屋が見えるが、遥か彼方だ。双六岳では双六谷を遡行して来たという社会人パーティに出会った。彼らの情報では東沢谷には金色の岩魚がいるらしい。双六岳と三俣蓮華岳でピッチを区切り、三俣蓮華のテントサイト着、10時間の行動だった。
キャンプ登録の際、明日の行き先欄に薬師岳往復と書いたら、小屋のアルバイトに「なぜまた薬師往復なんですか? 遠いじゃないですか」と言われ言葉が出なかった・・・・・・。明日からビバークロングだが、ツエルトじゃベースを張れないってことで、荷物のデポを頼み、就寝前に翌朝使わないものを小屋に運び込んだ。

■8月2日(晴)
TS4:40-7:25黒部五郎岳7:40-8:55赤木岳9:05-10:30太郎平小屋11:00-12:50薬師岳13:20-16:50薬師沢小屋17:00-19:00雲ノ平祖母岳山頂
薬師岳ロングランである。小屋に昨日預け残した物を預けて4時40分出発。荷物を預けるために出発が予定より遅くなったが、軽荷でジョグシューとくればやはり速く、1ピッチで五郎平に至り、黒部五郎岳の登りに取り付く。稜線通しのルートを採ったが、通る人は少ないようだ。しかし、前半はお花畑、後半はアルパインの雰囲気のある岩稜と変化があり、景色も楽しめる静かな良いルートである。
黒部五郎岳を後にしたその時、僕にはいやな気分が、忘れ物だ。荷物をひっくり返して確かめるが、やっちまった、それもツエルトを忘れた。ビバークロングだってのに・・・・・・皆すまん。
その後、太郎兵衛平まではそれまで変化のあった景色から一変し、だらだらとした尾根道をひたすら歩いて行く。疲れの見え始めた米澤を引っ張りつつ薬師岳へ向かい、12時50分薬師岳山頂に到達、出発してからすでに8時間がたっていた。薬師岳を、黒部の懐にありながら、周囲の山と一線を画し、自分とその回りを見極めようとしているかのような存在だと僕は思う。
30分ほどゆっくりして山頂とそこからの景色に別れを告げ、薬師沢へ向かう。太郎兵衛平から薬師沢へ向かう途中パトロールに遭遇、ありきたりの注意を聞き流す。昨日、今日と黒部源流域にヘリが飛来していたし、兎平に入った時にパトロールに追い出されないかが心配だ。街にいれば、でっかい荷物を担いだ自分のことを異様な存在として見ている視線を感じなくもない。そして山まで来て、何でまた追い出されなきゃならない?
薬師沢小屋は人でいっぱいだ。まったく何しに来てるんだ? と僕は彼らに対して思うけど、多分むこうも同感。雲ノ平への急登では、背中に西日を浴びて暑く、疲れも溜まってペースが鈍る。雲ノ平にふらふら這い上がると、祖母岳山頂を目指すことにした。休んでいると見たこともない大きさの蚊が襲ってくるし、いいかげん疲れも溜まって皆不機嫌になってきたぞ。この日は祖母岳山頂の木製テーブルのような、ベンチのような人工物の上にシュラフカバーでビバーク、19時であった。
でかい蚊が襲ってくるので通常シュラフカバーの顔が出る側を背中側にして顔が出ないようにして対応した。時々起きて空気を入れる。ツエルトさえあれば・・・・・・

■8月3日(晴)
TS4:50-6:15祖父岳6:25-7:45鷲羽岳8:25-9:10三俣蓮華岳TS(幕営)
薄暗い中で、ロウソクの灯を囲みながら、ぼそぼそと朝のパンを食う僕たちをすがすがしい朝の光が包んでいく。夜、雨が降らなくて良かった良かった、ツエルトもないわけだし。東沢谷と上ノ廊下に囲まれた雲ノ平こそ、黒部の懐の中の懐か。5時前に出発し、祖父岳、岩苔乗越、ワリモ岳と順調に通過して、鷲羽岳に着く。ゆっくりして景色を堪能、鷲羽岳からの急な下りを慎重にこなして三俣山荘9時10分。ビールが無いっ、監督の差し入れを雪渓に冷やしておいたはずが、もしかして取られちゃったの? 嗚呼、ショック。
しょーがなく昼寝だ、ふて寝だ。雪渓で冷やしたコーヒーゼリーが最高だったけど、夕飯の野菜炒めは塩多すぎ。

■8月4日(曇)
TS5:20-7:00岩苔乗越7:10-8:50水晶岳8:55-12:05赤牛岳12:15-(12:50-13:40避雷)-17:30奥黒部ヒュッテTS(東沢出合)(幕営)
朝、ヤベ、寝過ごした。5時20分、曇り空の下出発。いったんテントサイトから黒部川源流に下り、そこから岩苔乗越に登り返して、水晶岳へ向かうコースを採る。源流に出てすぐに水を汲んでしまい、歩荷となってしまったのは失敗だった。岩苔乗越に出ると風が強く冷たい。尾根の縦走路を進み、水晶岳は荒れた感じであまり良い印象ではなかった。温泉沢の頭を過ぎて赤牛岳へ向かう道は静かで気持ちが良い。赤牛岳山頂で、雷鳴が近くなり急いで下るが、山頂直下は道も悪くメットを着用。結局、森林帯に入る前に雷雨につかまってしまい、稜線を外した岩陰にツエルトを被って一時間ほど待機。待機中に、黒部川上ノ廊下から源流へ遡行したB隊が追い越して行った。雷が弱まったところを見計らって歩き出すが、読売新道の整備はまだ殆ど進んでおらず、つらい下りが続いた。奥黒部ヒュッテに17時半着。考えてみると13時間以上の行動だった。
金子OBがいて驚く。話によると、B隊を追いかけて単独上ノ廊下に入ったはいいが追いつけず、夜10時までひたすら藪をこいで、赤牛尾根に直上したらしい。晩は合宿前半の終了を祝う。

■8月5日(快晴)
休養。釣りを試みるもの、ボルダリングに興じるもの、物干し、昼寝、思い思いに過ごす。

■8月6日(晴)<東沢遡行>
TS6:15-8:30一ノ沢出合8:40-10:00三ノ沢出合10:10-11:301950m付近(昼飯)-13:15幕営(2050m)
東沢谷遡行は、一ノ沢出合まではゴルジュを巻いたり、徒渉したりと変化があるが、その後は徒渉を繰り返しながら川原を進む。この日は2050mまで。二ノ沢出合付近の左岸に立派な滝をかけた沢があった。

■8月7日(雨のち曇)
6時出発の予定で一度外に出るが、天気が悪く、8時まで待機したが、結局中俣乗越までの標高差と、稜線歩きを心配して停滞となる。

■8月8日(快晴)<東沢遡行>
TS6:00-7:002150m地点7:20-9:00東沢乗越9:15-10:30岩苔乗越11:00-13:15高天原温泉13:50-16:15岩苔小谷16:20-17:00立石ビバークポイント(幕営)
5時に出発、順調に東沢谷を詰め出発から3時間で東沢乗越に出てしまい、計画では雲ノ平までの予定であったが、岩苔乗越から直接高天原へ下って立石を目指すことにする。この合宿3度目の岩苔乗越で弁当を食い、高天原では温泉にも浸かってしまった。ここでのんびりしてしまったが、文献にあった立石への踏み痕の入り口が判らず40分も探した末、やっと見つけて導かれて行った。ところが、これが明瞭ではあるがかなり悪い踏み跡で、湯沢に下りるあたりからメットを着用した。湯沢に降りて、岩苔小谷を下降して立石に着いたのは17時近くであった。また12時間以上の行動。

■8月9日(曇時々雨)
ここから奥ノ廊下だが、天気待ちして停滞。午後岩魚一匹釣る。竿を出してすぐのあたりだったので、期待したのだが、結局この一匹だけだった。仲良く5人でつまみ食い。

■8月10日(曇時々雨)<黒部川奥ノ廊下遡行>
TS6:30-7:50立石奇岩7:55-10:15D沢(大東新道)出合-11:40薬師沢出合-13:30兎平ビバークポイント(赤木沢出合)
昨日と同じような天気だったが、見切りをつけて行動開始6時半。増水は殆ど無いようだが、日が出ていないので寒く、大きな瀞はできるだけ高巻いて進んだ。今までの沢とはまったく違う雰囲気に、飲み込まれそうだ。立石奇岩は想像よりも大きく、驚嘆に値する奇岩であった。大東新道と合流して、澄んだ水中に岩魚を見ながら遡行して行くと晴れていたら飛び込みたいような瀞が現れるが、曇りでは泳ぐ気がしない。あまりに澄んでいて深さの見当もつかないほどだ。薬師沢小屋の前を12時前に通過した。赤木沢出合で、右岸の草つきの崖にある踏み痕を上ると、平らな湿地に踏み跡が続いていたが、ど真ん中に幕営し行動終了。雨も降り出し、濡れた衣類をまとって試練の夜を迎えた・・・・・・。
これで五日連続の国立公園内キャンプ指定地外での幕営となったが、やればできるもんだ。天気も悪いのでパトロールも来ない?

■8月11日(晴)<赤木沢遡行>
TS6:30-8:10大滝-9:45中俣乗越10:15-11:15北ノ俣岳11:45-12:45北ノ俣避難小屋13:00-15:45林道終点-16:45打保(下山)-(タクシー)-飛騨神岡駅
6時半に出発する、滑床、滑滝が連続する赤木沢はただただ美しい。8時過ぎに大滝を高巻くが、全ての高巻きは道になっていると言っても良いほど明瞭。先行パーティーを追い越し、詰めで左の流れに入ってしまったが、特に問題無く中俣乗越へ出る。米澤の感想では、東沢谷よりも赤木沢のほうがいいらしい。なぜかと聞いたら、ツメの急登がないからだそうだ・・・・・・甘ったれてんなっ!
縦走路に入り、神岡新道を分かれて下っていくと避難小屋に着いてしまったので、今日中に下山することにする。この後3時間の下りで林道に出て、さらに林道を1時間ほど歩いて打保の集落に下山した。長い林道歩きほど退屈なものはないと改めて実感。
バス便は日に2本で既にバスは無く、酒屋でタクシーを呼んでもらい、神岡に下った。温泉じゃなくて銭湯だったけど風呂に入って久しぶりにさっぱりした。とりあえず富山に出て打ち上げ。その晩は富山駅ステイションビバーク、翌朝始発で皆、青春18切符にて帰京し、合宿を終えた。

(文責:なかお)

 

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