キリマンジャロ登山 2003年8月21日~29日

キリマンジャロ登山 2003年8月21日~29日
‥メンバー:井上浩平(経営4)、米澤清文(理工3)

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■記録

8/21(木)
成田9:20集合と約束、井上・米澤それぞれ7:00頃に自宅を出発する。9:30成田のターミナルで合流。米澤はハーフパンツに登山靴、それにキャップ姿で
登場。一方、井上はジャージ姿・・。空港内の独特な雰囲気の中、早くも浮き気味に感じられるふたり。。井上・米澤ともに重量23キロを示していた。
手荷物検査で、米澤が引っかかった。問題はライターだった!護身用にザックへ隠し持っていたおもちゃの拳銃(ビービー弾)が見つかったのではないか!?と二人して慌てた・・。井上が持つMSR用のホワイトガソリンは、なぜか問題なくX線検査を通過した。大丈夫なのか、エア・インディア!!!
あれよあれよと12:00のフライト時間が近づく。半ば勢いで、準備を進めてきたアフリカ遠征へいよいよ旅立つときが来た。。西澤監督と村上コーチに準備整い今から出発する旨、電話する。「勝ってこいよ!」の西澤さんのお言葉に気合が入る。「無事登頂のメールを送ります!!」村上さんと約束した。ついに僕らは、アフリカ大陸最高峰、キリマンジャロ登頂を目指し、アフリカへ旅立った。
今日はまず、インドのムンバイへ向けてのフライト。途中デリーも経由するが、ムンバイまでの飛行時間11時間40分。「長げぇ~よ」。
離陸後すぐにランチ、透かさずジュースにビールとなかなかの居心地のよさ。酒に強い米澤は、ワイン○本にビール○缶とこれまたいい感じだ。隣には親日のインド人が座り、彼らにまでビールをついでもらっていたとか・・。
現地時間22:00インドのムンバイに着陸。ムンバイは経由目的だけの滞在。ケニアへの明朝のフライトに備え、ホテルへマイクロバスで移動。エアインディアが用意してくれたホテルはなんと5つ星!!「必要ねー」とかいいつつも、やっぱり快適だ。こんなVIPな待遇、これからの一ヶ月ありえないし、と二人満喫することにした。

8/22(金)
5:30起床。「これから10日ほどはシャワーもないのかな」とか思いつつ、シャワーを浴び、朝食をとる。
9:30エア・インディアは遠いケニアに向け飛び立った。ケニアまで6時間のフライトだ。「早くアフリカに着きたい!」
13:00ケニアの首都ナイロビにあるケニヤッタ国際空港に着陸。窓から見える景色はサバンナそのもの。。ついにアフリカに来たんだなぁと実感する。
入国審査を済ます。「いよいよ始まりますねー、アフリカ!!!」と米澤が一言。まるで勝負師の顔つきに変わっているかのように気合入る。それから数分後、アフリカンの凄みを実感させられる。USドルをケニアの通貨シリングに交換してすぐ、我々の周りには大柄な黒人がどっと押し寄せてきた!!!ただの客引きも、あれほどの威圧感を見せられるとヤクザとは比にならないほどの恐怖を感じてしまう・・。とてもじゃないが、のん気に交渉などしてられる雰囲気ではない。逃げるようにして機内で親しくなったケニア滞在経験もある邦人マサト氏に同行させてもらう。
約300円の安宿に無事チェックインでき、早めにミネラルウオーターやパンなど登山に備え買出しに出る。宿で親しくなった英語が堪能な某大学院生のヨシもキリマンジャロを目指すらしい。僕らはヨシと一緒に、キリマンジャロ登山の玄関口モシまで入ることにした。

8/23(土)
7:30前日予約していたマイクロバスが迎えに来てくれる。このバス、明らかに日本で使い古された中古だ。ナイロビからタンザニアのアルーシャを経てモシまで、25ドル。バスで、サバンナのでこぼこ道を走って走って6時間。
途中、ナマンガで陸路国境越え。”ケニア出国・タンザニア入国”の印をパスポートに押してもらうだけの作業も、ずっと島国で暮らす僕らには感慨深い。
休憩で立ち寄ったマサイ族の民族館での出来事。米澤の腕時計はマサイの目に留まり、なんとマサイが作ったお面と物々交換してくれるらしい。米澤は快く交換。「おいおいっ!、これから登山あるのに時計いるだろうが・・」。さらに、マサイの作業着みたいな白衣を米澤はパクってきた。「おいおいっ!!どこで着るんだよー」。おもしろおかしなギャグ路線を突っ走る米澤に疑いの目を隠せない。
14:00 モシに到着。登山基地とはいうものキリマンジャロの姿はまだ見せてくれない。ホームというゲストハウスに泊まることにする。一泊2000タンザニアシリング。日本円で200円程度。安い。お湯シャワーは出ないがまっ快適だ。

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8/24(日)
5:30 起床。近くのましなホテルに朝食を食べにいく。100円ほどで食パンやトロピカルなフルーツを食べ放題!!幸せを感じる。屋上からキリマンジャロの方向を眺めると、ぼやけながらも裾野の広いキリマンジャロの輪郭がわかる。いよいよ登山が始まることを実感するとともに、一段と気合が入る。
8:30 前日に長い交渉の末、契約した”マタタ”という登山ツアー会社の一行が迎えに来る。不本意ではあるが、キリマンジャロは世界遺産に指定されており、僕らが登るマラングルートは幕営禁止。ガイドまで義務付けで、さらに15キロまではポーターが荷物も持つ。ハット泊であったりと、常日頃では考えられない登山スタイルである。不要な荷物はモシのゲストハウスにデポしたが、フリーズドライ6日分や飲料、そしてMSRは持ち上げる。カメラはそれぞれがフィルム10本ほどをもつ。
10:00 マラングゲート(1550M)より入山。天気は快晴。
熱帯のジャングルをゆっくりゆっくり登る。少しでもペースを上げようとでもすると、ガイドのトゥーシャは「スィマーマ(止めろ)」とか「ポレポレ(ゆっくり)」とスワヒリ語をぽつぽつと繰り返す。12:00 2000M付近で昼食。北アルプスでの登山とはまったく異なり、高度感の実感はない。それもそのはず、切り立った箇所もなければ、道幅1,5Mの広い道をストック使ってひたすら登る。
14:30 マンダラハット(2729M)着。ポップコーンとコーヒーで休息をとる。
夕食はパンに、コンソメスープ、パスタにバナナ。夕食後、真っ暗な外へ出てみると、石ころ大の満点の星空だ!!ぼーっと立ち尽くしてしまう。20:00 就寝。

8/25 (月)
7:00 起床。もっと早く起きて、ガシガシと登っていきたいところが、そうはさせてくれないキリマンジャロ。ガイドも準備が遅い!! 8:00出発のところ20分くらい遅れて出発する。山岳部的には許されないよね!! アフリカ人はせかせかしたところが全くない。きっといいことなんだろうが、山では時間に節度を。
15:00 ホロンボ・ハット(3720M) 到着。マウエンジ峰(4600M )が神々しく聳え立つ。だが、キボ峰を目指して登る僕らには、特別な感情は沸き上がらない。
17:00 夕食はチャーハン。夕食後、天体観測を始める。スペイン人の二人組みとも仲良くなり、いろいろ話す。が、何を言ってるのか言葉がわからない!!
それでも共通理解の「Milky Way」にみんなで興奮してもう。大粒の星空の中”天の川”がはっきりと見える。米澤が一眼レフで撮影。期待大。20:30 就寝。

8/26(火)
8:00 起床。今日は高所順応に充てた一日のため、いつも以上にまったり感がある。ゼブラロックを越えて、ザ・サドというところまで上がり戻ってくる。高度差1000M弱。どれほどの効果があるかわからないが、一度体に高度の負荷をかけることで、スムーズに高山病に対応できるということで焦らず一日を使った。天気は今日も快晴だ。ザ・サドに立つと、アメリカのグランドキャニオンのような大地が、果てしない広がりを見せ、アフリカのスケールを見せつけているかのようだった。まだ山容をくっきり見せてくれないキボ峰へルートをイメージして引き返した。しかし寒い。かなりの高所にいることを実感する。
ホロンボハットに戻って昼食。ジャガイモばかりだー。米澤はすごい食欲。全く高山病とは縁がなさそうな奴だ。ハットで日本食が恋しいなって話になり、MSRで牛飯とトン汁を作ることにした。二人とも満足感に浸っていたが、
麓から一緒に登ってきたヨシは高山病で体調よろしくない。(かなり不調)
ピークを踏んで降りてきたフランス人が僕らに向けて言い放った。
「人それぞれのピークの踏み方があるんだ。気負わずに登れ、大丈夫さ」。

8/27(水)
7:00 起床。井上に多少の頭痛が現れる。一方、米澤は元気そのものだ。
12:30 昼食をとる。広大な礫砂漠にいて、風を防ぐものは何もない。少々の雨にも震えてしまうほど、とにかく寒い。
それでも、今キリマンジャロを確実に歩いていることを実感すればするほど、テンションは上がってくる。ガイドのトゥーシャを置いてきぼりにしてしまうほど、僕らのテンションが上がり、ピッチも上がる。シモ歌を口ずさんだり、バカ話ばかりして、ふたりは異様に盛り上がっていた。何に飢えていたのか!?
15:00 ようやく、キボハット(4600M)へ。礫砂漠の中をひたすら歩く、しかも震えるほど冷え込んでの風雨の中を。今日の行程はとにかく長かった。キボハットに着くと、遥か遠く真っ白の氷河がぐっと近づいてきたことを実感せざるをえない。タンザニア人ガイドら大勢と写真を撮ったりしてしばしまったりする。「もうここまで来たんだから、何が何でもウフルピークを踏むんだ」。

8/28(木)
23:00起床。真っ暗な中を、雄大な大地昇る日の出を見たいがために、深夜出発に準備する。軽くクッキーとあたたかいお茶で軽食をとる。
0:29ついにキボハットを出発。文字通り、今日は頂上アタックの”ここ一番”である。色々ガイドのトゥーシャから指示を受けるが、既にキボハットはマイナスの体感温度。冬山を思うほど、手足の指を動かしていないと凍えてしまう。
トゥーシャ・井上・米澤の三人パーティーで歩くが、二人とも徐々に高山病に襲われて苦しさを顔に出す。キリマンジャロに踊らされていた僕らも、高山病の前にはただ耐えるのみって感じ。無心に一歩一歩進めるが、高度を増すごとに体がフラフラになってくる。高山病の影響でか、睡魔にまで悩まされる。
6:50 フラフラ度も限界に感じ始めた頃、僕らの背後から恵みの大きな太陽が昇ってくる。まるで”オーロラ”を拝むといっても過言でないほど芸術的だ。雪上を歩くわけではないが、米澤が足の指が冷たいとしきりに気にする。本人は「凍傷ですよ。もういいっすよ。」とやけを起こしている。そんなこんなでありはしたが二人もがき這い上がって、6:50ついにギルマンズポイント(5681m)に立つ。最後の一歩は力ずくで岩をよじ登る感じであったが、ギルマンズ・ポイントに立った瞬間、眼前に強大な氷河がドーンと姿を現す。感無量。興奮!!!!
よーっし、次はほんとのキリマンジャロのピークである”ウフルピーク(「独立」を意味)”を目指そうとした時、米澤の表情が確実にぐれている。。(苦笑)
ぶっちゃけて、あんなつらそうなヨネを見たのは久しぶりといってよかろう。
米澤はトゥーシャに対して、ゼスチャーで「おい!!!俺の足の指、凍傷してるんだ。ひとり先に下山するから」。「井上さん、俺もう下りるからウフル行ってくださいよ」。・・・・なんて馬鹿なとは言わないが、少々険悪な雰囲気がそこにはあった。
ガイドのトゥーシャは「お前のそんな上等な靴を履いててどうして凍傷なんてあろうか、俺は信じない。つべこべ言わずウフルへ行くんだ」。ってなことを米澤に語りかけている。彼の言い分も確かではあったが、ギルマンズポイントの気温は-15℃近く。凍傷も場合によっては考えうる。米澤の自己判断に任せるしかないとの思いもあり、米澤の判断を待つ。しばらくして、米澤はトゥーシャの根気に負けてか、少しずつウフルピークを目指すことを決意。「よしっ!!」

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peak
9:16苦しんで苦しんで、僕らはついにウフルピーク(5895m)、キリマンジャロの最高地点に立つことができた。果てしないサバンナの広がる、アフリカ大陸の最高地点に僕らはついに立つことができたのだ。雄たけびを上げるほどの余力もなかったが、二人とも感無量の思いを共有できた。360℃広がる巨大な氷河の大パノラマ。キリマンジャロのスケールをしっかりと実感することになる。
井上と米澤は、二年前の5月の白馬岳で「キリマンジャロ行きてえ・・・」と初めて夢を語った。(ヨネは記憶してないかもしれないが・・)その夢をついに形にさせ実現させるときが”今”きたのである。こんな場所に立てるまで、どれだけ多くの先輩方に指導していただいたのか、絶対心しないといけない。僕らは、ウフルピークのその場所で、手作りの”AAC”のフラッグを誇り高く掲げた。
『JAPAN Kilimanjaro Tanzania AAC August ’03 』と力強く記した。
感慨無量とはこのことなのか。大げさかもしれない。だが、ここに至るまで辛かったのは確かだ。覚悟していた高山病も、正直なものでかなり苦しかった。二人とも夢にまで見たキリマンジャロの氷河を前に酔いしれて、多くを語らなかったが、心の底から沸き起こってくる充足感から涙も自然とにじんできた。
13:00 キボハットに下山。タンザニア人のポーターたちが祝福の笑顔で迎えてくれ、オレンジジュースで乾杯した!少し休んだあと、一気にホロンボハット(3780m)まで高度を下げる。高山病も徐々に和らぐのがわかる。17:00 ホロンボハットに着く。遥か遠くに見えるキリマンジャロを振り返ると、この日の充実感がこみ上げてくる。大変な幸せをかみしめる二人。「良かったよなぁ~!!!」
忘れられない、一生忘れやしない一日が無事に終わった。感謝。20:15 就寝。

8/29(金)
7:20 起床。相変わらず頭が痛い。だが気分はとってもいい。朝食はいつも通りに、パンとうがり(タンザニアの伝統料理。まあ、日本のお粥っぽい)。
8:25 ホロンボハットを下山開始。眼下広がるサバンナに吸い込まれる反面、白くあの巨大な氷河をもったキリマンジャロのピークがだんだん消えかかっていく。実にせつない。何度も振り返っては、名残惜しく写真にキリマンジャロの姿を収める井上。一方、米澤は元気も回復し、ぐんぐんと高度を下げていく。
12:10 マンダラハット着。芝生の上でランチ。でも食欲がわかない。。
13:50 マンダラハットを再び下山開始。熱帯を感じさせられるジャングルをくぐるようにしてあとはマラングゲートへ下山を目指すのみ。
マラングゲート近くで物乞いの子供たちに囲まれる。この子たちに、お菓子などを与えることが決していいことだとは思わない。しかし、日本から持ってきたチョコや飴がまだ少し残っていたし、このタンザニアの子供がどんなに貧しい暮らしをしていて、どれほど子供も大人も分け隔てなく働いているのかを多少なりに目の当たりにしてきた僕は、ほおっておけなかった。必ずしもいいことだとは思えないが、「喜ぶ笑顔が見たい」。今思えば、この心境だった。子供たちは、くりっとした大きな瞳を輝かせて喜んでくれた。一人の子が僕に「水牛を見せてやるよ!」と自信ありげに言う。見ると、確かに水牛だ。思わず「Cow!!!!」て連呼して興奮してしまった。同時に、その子供が裸足であることに気づく。歩きまわり、走り回っているだけあって、細くてもしっかりした足をしているが、傷だらけのその裸足にとても心が痛む。あの太陽のように輝いた眼力も忘れられないが、傷だらけの足をしてまで僕を喜ばせようと水牛のとこまで駆け寄ってくれた子供たちの真心、優しさに僕はハッとさせられた。強く印象に残る。物乞いする子供より、むしろ僕のほうが切迫した気持ちにさせられた。子供たちが欲してきたものは、むしろ「愛情」だったのかもしれない。
14:40 マラングゲートに到着。キリマンジャロ登山は無事終了した。最高に心地よい。僕たちはなんと幸せ者なのかと改めて支えてくれた多くの人に感謝。
ガイドのトゥーシャのサインが書かれたキリマンジャロ登頂の認定証明書を手にする。彼ともしっかり握手してお礼をいう。彼も熟練とはいえさすがに疲れた表情をしている。「トゥーシャ、アサンテサーナ(『ありがとう』の意。)」。
17:00 “ぼこぼこガタガタ”これぞアフリカンといった感じの乗り合いバスに揺られて二時間弱、再びモシの町に戻ってきた。
迷うことなく、入山前にもお世話になった、ホームというゲストハウスにチェックインをする。久しぶりの水浴びと洗濯がたまらない。充足感が溢れる。。
夕食は近くのましなバーで自らをお祝いする。キリマンジャロビールとチキンとチップなどなど。とってもとってもおいしい。現地のタンザニア人ともいろいろ語り合い向き合いながら交流し、短い期間の挑戦ではあったが、とても濃く充実した6日間のキリマンジャロ登山を締めくくった。

‐キリマンジャロに挑んで‐

アフリカの大地で僕たちが得たものとは一体何だろうか。いまだ正直、漠然としたままでいる。アフリカの一部分を見たに過ぎないことはよくわかる。全ての価値観が異なり、悠久のたった一言では片付けられない世界。アフリカ大陸最高峰という高山に挑んだのだが、実際、一歩一歩山に登ることを通じて、高さよりもむしろ横の世界がぐんぐんと広がりを見せてくれるのが実感させられた。自分のちっぽけさを体で感じたからこそ、また次の目標へ心新たに頑張れそうだ。
無事に下山したその夜、ゲストハウスで蚊帳を被ってぐうぐう眠る米澤を横に見ながら、「一緒にキリマンジャロに登ろうや!」とただ純粋に夢を追ってこれた喜びが強くこみ上げてきた。米澤にはただただ「ありがとう」を言いたい。

killim1

(文責:井上浩平)

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