前穂高岳北尾根IV峰東南壁 清水RCCダイレクト 冬期登攀
‥2002年12月14日~12月21日
‥西澤、宗像(一橋OB)
■記録
■12月14日(土) 晴
強い寒気は東方に抜け快晴。だが冬型が残っており気温は松本で-10度と低い。クリスマス寒波前は雪も少ないだろうという我々の甘い目論みも異様に早い寒波の到来により敢無く崩れ去り、上高地から早くも輪かんのお世話になる。徳沢園で入山の挨拶を済ませコーヒーをご馳走になる。結局、ラッセルに苦しみ16時、予定より遥か手前の慶応尾根末端のピークまでしか届かなかった。
■12月15日(日) 晴
移動性高気圧により快晴。但しラッセルは深い上に人数が2人とあってはピッチも上がらない。10時間たっぷりラッセルし16時、ようやく北尾根のⅧ峰に達する。
■12月16日(月) 晴後曇 夜 雪
移動性高気圧の恩恵も午前中までとの予報であり、Ⅲ・Ⅳのコルへ入るべく先を急ぐ。とは言うもののこの日もラッセルと重荷に喘ぐ。Ⅵ峰とⅣ峰の通過にザイルを2ピッチづつ出し14時すぎⅢ・Ⅳのコルへ到着。明日は吹雪との予報であり雪洞を掘り中にテントを張る。
■12月17日(火) 雪
夕方から降り出した雪は激しくなり、夜半過ぎには雪洞内のテントの入口まで埋められてしまう。その後は3時間おきに除雪を繰り返す。当然停滞。14時過ぎに吹き溜まりとなる雪洞を放棄し奥又側の岩陰にテントを移す。
天候周期は早く明日は移動性高気圧に覆われようであるが持っても1日である。Ⅳ峰東南壁となるC沢は雪崩を考慮すれば雪が落着くまで1日待ちたいところだが、望むべくもなさそうである。明日は取合えずC沢の雪質を探った後雪崩れの危険が高ければ、東南壁は諦めて北穂へ移動し滝谷を狙うことにする。
いつものように、前穂東面のアタック前夜は雪崩のプレッシャーの為よく眠れない。ウトウトする中で弱い自分が日和ることを勧めるかのように、縁起でもない夢ばかりみる。
■12月18日(水) 曇 後 晴
4時30分起床。重苦しいプレッシャーの中黙々と朝飯を食べる。満天の星空を期待して外を見てもどんよりとした暗闇があるだけでどうやら高曇りのようだ。6時30分、明るくなるのを待ってザイルを2本繋げB沢を下降する。腿から腰までのラッセルで安定しているとは言い難いが、昨日積雪があったにしては案外締まっているような気もする。微妙な感触であり判断に迷う。もう少し、もう少しと雪を探っているうちに、あっという間に100m下ってしまった。宗像が「ザイル一杯」と叫んでいる。「駄目だ」と言ってしまいたい衝動に駆られながらも試しにバックステップで下降してみると、足の親指の付根に確かな安定感があるように感じた。しばらく逡巡していたが、どうせ前穂東面のアプローチは安定することはないのだから、この程度でも良しとすべきだと判断し「行くぞ」と叫んだ。
既に「賽は投げられた」。後は何も考えずに一気に下った。インゼル上部の雪壁となった滝
は確保しながら慎重に下降し、ようやく東南壁清水RCCの取付に到着。フレンズ2個でビレイを取り準備をする。ルートを目で追う限りポイントは、雪がべっとり付着した、この1ピッチ目だと思われた。その上のピッチは所々キノコ雪が付着しているものの何とかなりそうだ。
1ピッチ目 西澤リード 「時間がかかると思うけどよろしく頼むよ」と宗像に声をかけると「サクサクッと行って下さいよ!!」と冗談交じりにニコッと笑った。彼はこうした何気ない仕草で緊張を解いてくれとても助かる。しばらくはミックス壁の草付やホールドにアックスを引っ掛けながら登ってゆく。20mほど登ったところでようやくハーケンを打てホッとする。
その後、夏はフリーで越えた被り気味の凹角は出口、左右とキノコ雪で覆われハーケンとカムの人工でじりじりと高度を稼ぐ。抜け口のキノコ雪を最低限切崩すと右手のアックスは岩に引っ掛け、左半身をキノコ雪に押し付けるようにして何とかバンドへ這い上がった。懸念されたピッチを片付けて思わず拳を握り締める。
2ピッチ目 宗像リード このピッチの核心は人工に入る手前のⅤ級のトラバースだ。バンドの出だしで宗像の乗ったキノコ雪が崩壊しドキッとするが手前のハーケンを掴んでいたのでダメージは無かった。宗像は核心部手前でしばらく逡巡していたが意を決するとカンテの向こう側に姿を消した。ビレイする手にも力が入る。緊張する時間の後「人工に入りました」声を聞きホッとする。このトラバースはフォローでも恐ろしくトップでなくてよかったとつくづく思った。この頃より晴れ間が覗き出し気分も明るくなる。
3ピッチ目 西澤リード キノコ雪に覆われたテラスへ微妙なフリーで這い上がった後、効きの悪い人工で前傾した凹角を右上する。途中ピトンを打ち足したり、古いピトンをチェックしながら進むので時間がかかる。
懸念したビレイ点直下の雪の付着は思ったより少なく、苦労せずに越えることが出来た。
4ピッチ目 宗像リード 顕著な凹角をフリーと人工を交えながら順調にザイルを伸ばす。雪が大量に付着すると思われた凹角だが出だしと中間部を除いては夏と大差はない。だが、天候は再び曇り出し風も出て来たせいか上部より時折スノーシャワーの洗礼を受ける。
5ピッチ目 西澤リード 傾斜の落ちたミックス壁を慎重に左上する。難度は和らいだがビレイは取れない。ここで落ちては元も子もないので敢えてゆっくり登るように心掛ける。30mで雪壁となり、確実ににステップを刻みリッジへあがる。
6ピッチ目 宗像リード 美しい雪稜にザイルを延ばす。吹雪くかと思われた天候も再び青空を見せはじめた。夕暮れ迫る茜色がかった青空に向かって純白の雪稜にザイルを延ばす宗像の姿はまるでヒマラヤの写真集でも見ているかのようだった。傾斜の落ちたところで登攀終了。ガッチリと完登の握手を交わす。Ⅳ峰の頂上では夕暮れの大パノラマを堪能し17時丁度にⅢ・Ⅳのコルのベースに帰幕。
■12月19日(木) 雪
本日は低気圧が通過しており天候は吹雪。何とか行動出来るだろうと北穂へ向け出発するが、予想以上に風が強く行動不能。Ⅲ・Ⅳのコルへ戻り結局停滞となる。この時点で残日数も少なく、天候も期待出来ないことから滝谷は諦める。
■12月20日(金) 晴
日の出とともに行動開始。北尾根Ⅲ峰も雪がべっとり着き、重荷ということもあり結構苦労する。9時40分 前穂頂上に到着。5年振りの冬の穂高の頂上を楽しんだ後、吊尾根を奥穂へ向かう。冬の吊尾根は雪庇の張り出しも大きく、不安定な部分もあり夏と違って結構緊張する。ラッセルはさほどではないが年のせいかピッチが中々上がらず宗像には大分迷惑をかけてしまった。12時30分。奥穂頂上。ずっとラッセルしてきた北尾根から吊尾根を目で追い充実感に浸る。
それにしてもⅢ・Ⅳのコルの寒々としたこと。「あんな所に4連泊もしていたんだな。」と宗像と妙に感心し合う。
その後、白出しのコルで大休止をした後、涸沢岳を最後に稜線を離れる。涸沢岳では木村に黙祷を捧げお礼を言った。「滝谷は逃してしまい、体力的には俺も年で冴えなかったけど何とかこれで勘弁してくれよな。」と、又、「学生達のことをこれからも守ってやってくれ」と木村に告げた。
今日中に新穂高温泉までという夢も、蒲田富士のラッセルに最後の体力を奪われ16時、西尾根2400mのプラトーで幕営。
■12月21日(金) 晴 後 雪
森林限界以下まで下降したのだからさぞや暖かいだろうと思われた夜も、既に気合が抜けてしまったせいかやたらと寒い。温泉の恋しさに耐え切れず早起きをして暗いうちから下山開始。9時40分、無事新穂高温泉に辿り着いた。
登攀を振り返って
Ⅳ峰東南壁は夜間登攀位は覚悟していたのだが、案外すんなり登れたというのが感想である。アプローチの雪崩の危険は、前穂東面の他の壁と比して高いが、傾斜が強いせいか1ピッチ目を除いて雪の影響は思っていたほどではなかった。これは、登攀後のベースまでのアプローチが短いことや、秋に偵察を行ったので初見ではなかったことがそう感じさせるのかもしれない。だが、いずれにせよこれは冬はおろか夏ですら取付くパーティーが稀な情報がない中でのアタックで初めて分ったことであり、ここに来るまでのプレッシャーと日々の積重ねを考えれば登攀価値を減じるものではないと思う。
今回の山行では宗像に負う所が大きく感謝の念に耐えない。登攀中でも、停滞中でも精神的に、体力的に大いに助けられた。彼のお陰で、実に楽しく充実した8日間を過ごすことが出来た。改めて御礼を言いたい。