Rock Climbing in Thailand 2003年3月12日~31日

Rock Climbing in Thailand 2003年3月12日~31日
‥米澤

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■記録

■3月12日(木)
成田空港9時45分発プーケット行の飛行機に2時間前に搭乗手続きするために、下宿先の生田を暗いうちに出発する。外は寒く、街は眠っていた。初めて、一人で海外に出る。困ったときに側に人がいるというわけではなく、今日タイについてからどう過ごそうか考えながら成田へ向かう。その前の山行のこともあり、流されるように空港の手続きを済ます。井上さんに激励の電話をいただき、出発するのだと感じる。
現地時間15:30にプーケット国際空港に到着。日本の重い服を捨てる。空港で両替を済まし、今夜宿泊するゲストハウスを予約する。バンコクと比べ、プーケットの相場が異常に高い。ここは、本当に金のある人間が滞在するところだと感じる。予約したゲストハウスは、プーケット島中部のパトゥン・ビーチにありタクシーで向かった。パトゥン・ビーチは観光地であり、タイ人が白人より多い。ビーチにはパラソルとイスでいっぱいだった。日本人もちらほらみかける(自分もそうなのだが)。つまらないところであった。

■3月13日(金)
当初予定していた、プーケット島バイクで一周する計画をたてていた。海岸沿いに、Rent Bakeという看板を探す。バイクは200Bが相場だと本に書いてあった。はじめに訪ねた店では、値段が160Bとのことで早速借りた。しかし、バイクはマニュアルであり、自動車の免許しか持っていない僕には使いこなせなかった。店の人間もそれに気がついたらしく、あなたにはかすことはできないと言われてしまった。店の親父に、パトゥン・ビーチは一番事故が多い。事故を起こすと、1万B払わないといけないのでこの島ではお前はかりないほうがいいといわれた。しょうがないのと暇なので海岸にでる潮風の流れる細い路地を通り抜ける。するとビーチ沿いにあったRent Bakeは300Bだった。しかし、オートマ(スクーター)で運転が簡単そうなので親父の忠告をきかずかりてしまった。まず、クラビ行きのバスが出ているプーケットタウンに向かった。タイの青空と緑の大地をひたすら走る。プーケットタウンにあるタイ観光案内所で場所と時刻表をもらう。受付をしていた娘は、僕より年下に見えた。しかも、英語がうまい。観光案内所の前で、明日の目的地であるクラビからバイクで来たドイツ人が話しかけてきた。しかし、言っている英語が理解できない。バスターミナルを確認し、島を半周する。運転にも慣れてきて、100キロぐらい出していると、前の籠にいれていた時刻表が風圧で飛び出し自分の顔にはりつき息ができなくなった。漫画のような塩梅だった。タイは神秘の国だと思った。

■3月14日(土)
トゥクトゥクでパトゥン・ビーチからプーケットタウンに向かう。300Bのところを200Bで交渉。値切りもやってみるものだと思う。バスターミナルへ9時20分に到着。降りると、バスターミナルで働いている人間なのか英語で「どこにいくのか?」と聞いてくる。「クラビ」と答えるとすぐにバスの出る時間と場所を教えてくれる。出発するまえに、近くの食堂でお弁当と水を買う。
バスが出発した。どうもノン・エアコンバスに乗ったみたいだ。これは、一番安く現地人しか乗らないバスだった。現地人だけで外国人はボク一人であった。中学生くらいのタイ人のカップルがこっちを見ていて笑っていた。それほど、珍しかったのだろうか? 一番安いバスだけあって、停車する回数も半端じゃない。バスの中は、常に大音量のラジオが流れていた。そして途中乗車してきた、女の子二人が僕の隣に座った。しかも、二人用の座席なのに・・・。どうして、三人で共有しているのだろうかと思いつつ遠い空を見ていた。バスが停車したとき物売りが果物を売りにバスの中に入ってくる。二人の女の子は、なにか果物を買っていた。しばらくたつと「あなたも食べる?」とそれを差し出してくれた。タイのバスでは睡眠薬入りの飲み物・食べ物を渡し金品を盗むという事件がおきている。もちろん、何の迷いもなくおいしくいただく。甘酸っぱい南国の果物であった。英語で会話をするが、ぜんぜん聞き取れない。クラビに住んでいる。英語は大体しゃべれる。そんな程度の会話しかできなかった。もっと語学を学ばなければいけないなと思った。話も途切れ途切れになり、隣の女の子は寝てしまった。僕の肩にゆっくり次第に頭が傾いてくる。さっき出会ったばかりなのに・・・。タイ人の女とはこういうものなのかと妙にのほほんと思ってしまった。
クラビのバスターミナルに着き、彼女たちに別れを告げる。近くの旅行代理店に今夜の宿泊施設の予約をしに行く。YAYA(500B)というバンガローに一泊することにする。どうやら、プラナン・ビーチというよりライレイ・ビーチにバンガローが集中している。YAYAは、ライレイ・ビーチにある。あとでわかったのだが、船は、トンサイ、ライレイ・ビーチの二つにしかでていない。プラナンの岩場だから、プラナンビーチにあると思っていたがどうもそうではないようだ。予約を終え、チャオ・ファ埠頭に代理店の陽気なお兄さんに送ってもらう。
チャオ・ファ埠頭からの船は70B、ライレイ・ビーチまでの所要時間は40分ほど。もうひとつは、アオナン・ビーチからトンサイ・ビーチに向かう方法もあり、同じ70Bである。しかし、クラビタウンからアオナンビーチまでトゥクトゥクで20B、船は50B。どちらも時間的にはかわらず、どこに宿泊するかで渡る方法を考えたほうがよい。
チャオ・ファ埠頭につくと、欧州人の女性4人が舟を待っていた。僕もそのあとにならんだ。さっきまで、のほほんとしていたのにうるさいところに来てしまった。船は、ある一定の人数がそろわなければ出発しない。10人集まったところで船が出たのだが、ガソリンがないといってみんなから70B徴収しだした。ありえないことだと思っていたら、欧州人は何の躊躇もなく払っていた。ボクは、いくらはらえという英語が聞きとれず、聞くのもプライドが許さなかったので財布にあった小銭を全部渡した。タイ人船員は首を横に振り「マジかよー」と苦笑していた。奥に乗っていたイギリス人くさい男性が笑顔、手でグットサインをしていた。ありがとう!! しかし、困ったことに船に乗っているとこっちをみて笑う。そういえば、昨日一日中バイクに乗っていたので、日焼けが非常に凄かった。これもまた、イギリス人っぽい夫婦が、それはとても危険な状態よ。このサンクリームを塗りなさい。着いたら一日の終わりにALOE-VERAを買って塗りなさいと、紙に書いてくれた(今もその紙は大切にとってある)。そのあと、離脱式のズボン下をひざの上にかけるようにしてもらったり、御座をかぶったりもした。子供扱いだったが、とてもやさしくしてくれた。船の中は、女性四人組とタイ人の水先案内人が歌っており賑やかであった。船を下りたあと、いろいろ心配してくれたイギリス人夫婦に英語と日本語で「ありがとうございました」。イギリス人くさい男性も船を降りると話しかけてきた。「どこからきたの?」と訪ねた。「日本から」と言うと、日本語で「こんにちは」「ありがとうございます」を言った。二言三言と交わし、今夜泊まる場所を聞いてきたので、YAYAに泊まるというと、場所を教えてくれた。がんばりなと励ましてくれた。みんなやさしい。
YAYAについて、荷物をおくとホッと一息つく。次は、相棒の相田を探さなければいけない。日本を出る前に、集合場所の絵を書いてもらったのだが、あんな絵じゃわからない。とりあえず、適当に岩に向かって歩く。One-two-threeという岩場で、京都からきた人たちと出会う。どうやら、彼らは相田の後輩の森と滝浪に会っていた。しかし、情報はそれだけでありなんら参考にならなかった。
とりあえず、送ってもらった絵にトンサン湾とかいてあったので、買ったトポをみてトンサイ・バーという場所かなと思う。これで会えなかったら外人にビレイを頼んでやってようかと思った。それとも、日本人を探してやろうかとも。

■3月15日(日)
午前8時にチェックアウト。トンサイビーチ向かうために山越えをしなければいけない。本来は、ライレイビーチからトンサイビーチに行くには海岸沿いを歩けば簡単にいけるのだが、ガイドブックに山道しかはっきり書いてないので山越えしないといけないと思ってしまった。YAYAを出発してしばらく歩いてCocoという場所の前に着くと、相田の後輩である森、滝浪に出会った。今日はone-two-threeに行き、午後トンサイ・バーで昼食を一緒にすることになっている旨を聞く。山越えは非常につらかった。トンサイ・バーに着くと、相田がビーチの木陰に御座を敷いてのんきに寝ていた。でも、やっと会えた。出会いとは素敵なことだね。やっぱり、日本でもっと集合場所をしっかり特定するべきであったと反省。午前11時、バンガローに荷物を運ぶ。もう、それからは「初夏」という感じのムード一色。鳥のさえずり声、流れる風が気持ちいい。午後は、休憩。タイを感じる。

■3月16日(日)
今日から本格的なクライミングである。バンガローで朝食をすまし、Dum’s Kitchenの6a、6bをオンサイト。多少、捻挫した右足が気になる。Ton Sai Wallの6cにトライ。とにかくかぶっていて、パワーが切れて登れない。一ヶ月ぶりのフリーなので上出来かな。午後は、One-Two-Threeに行く。6a+25mの長いルートをトライ。長すぎて疲れるが、登っている実感がする。ここで、松本Yなんとか山岳会に所属しているエグさんという人に出会う。英語がうまい。白人がビレイしているそばで、滅茶苦茶なことを言っている。日本人が英語をわからないように、外人にも日本語がわからない。なるほど。

■3月17日(月)
6時半に起床。日本時間では、8時半。早起きだ。今日は、Ton Sai Wallの6a+をトライ。ワンテン、悔しいが足が痛い。登る前に、白人がフリーソロで上っていた。6b+もトライしたが、なんだかぜんぜん振るわない。おもしろくない。なんで、タイに来たのだろうか?という考えが頭に浮かんだ。午後は、昨日と同じようにOne-Two-Threeに移動。できなかった、6a+をやるが、やっぱりできない。もう、足が痛くて無理かなと弱気になる。明日は、レスト日だし6b+のMuai ThaIに最後に取り付く。すると、はじめテンションをかけたがみるみる登れて行く。かぶりの、ガバガバ。垂れているツララ状の岩に抱きついて登る。なんだ、このルートは? 面白すぎる! ワンテンを交えたが、降りると笑顔である。相田も登ったが、核心でしっかり落ちてくれた。やっぱり、いままでガバを登っていただけに核心の一手が細かいので動揺する。多分、「次のクライミングにつなげたな」と相田にいったが、「なに言ってるの?」と言われてしまった。

■3月18日(火)
レスト日。バンガローで本を読んだり、昼寝をして過ごす。

■3月19日(水)
六時半起床。日本時間では・・・。Ton Sai Wallに向かう。17日のMuai Thaiで次につばげた成果か、初日に登れなかった6cをレッド・ポイントする。デシマルグレードでは5・11aである。やっと、以前のグレードを回復し出してきた。午後は、Fire Wallに移動する。調子に乗って、Fire Show6c+をトライ。相田の話では、5・12を登れる人が登れなかったルートと言っていた。じゃあ、やろうかと登り始める。核心は、6ピン目との同高度にある右手2本指のアンダーから直上するパワーとムーブができるか。珍しく、垂壁のムーブであった。もちろん登れなかった。しかし、6cを登れたことで自分が進歩していることがわかる。バンガローに帰ると、隣の部屋から太鼓とピアニカの音楽が聞こえる。違う国籍の人間が奏でる音楽、いま自分のいる世界はどれだけ貴重なことなのだろうか?
別に貴重と思うほど、歳をとっていない。今度来るときは、楽器をもってこよう。「No Music No life」相田が言う。僕もそうかもねと思う。

■3月20日(木)
タイに来て、もう8日間もたってしまった。時間が恐ろしくはやい。バンガロー兼食堂のママ三人(一夫多妻制)が今日は暑いよと教えてくれる。Dum’s Kitchenで6b,6cを登る。どちらもワンテン。午後は、Fire Wallの奥にあるMelting Wallで6b+を登る。22mのロングルートだった。オンサイトトライだったが、終了点2手前で落ちてしまった。気合が足りないなーと思い、降りてから相田がなぜ東大に入ろうと思ったのか聞く。長い話の後、Fire Wallの6c+を取り付く。昨日は、途中までしかつなげられなかったのだが今日は終了点までムーブをつなげる。つぎにトライしたとき確実に落とせる。エグさんも、Dum’s KitchenのWake&Bake7a+をレッドポイント。ハングしたコーナークラックを登る面白そうな一本であった。

■3月21日(金)
レスト日。プラナンビーチに海水浴に向かう。あと、写真をパシャパシャ乱射する。美しいビーチだが、日差しが強い。しかも、泳いでいるのは白人ばかりでなんだかタイに来ている気がしない。べつに、タイ人が泳いでいれば言いというわけでもないが・・・。夕日を撮るために、view pointに向かう。ライレイビーチ、トンサイビーチの砂浜の曲線が南国にきてしまったのだと思わせる。夕日がきれいだった。ここは、むさ苦しい男だけで来るところではなかった。

■3月22日(土)
同じく6時半に起床。なぜ、いつも六時半かというと、ちょうどこのころからセミが鳴きだすからである。Dum’s KitchenのThe Lion King6c+に取り付く。去年、相田が落とせなく心残りで日本に帰った一本である。結果は、ボクが2撃で落とす。しかし、1回目のトライのとき捻挫していた右足が、強引なキョンをしたことで「ゴキッ」と鳴った。怪我をするといろいろ大変である。それより、東大相田に一歩リードする。相当ショックらしかったが、相田自身もルート自体はつながっていたので、腕が回復していれば登れるだろうと思った。多分アップが多すぎ、それに休む間隔が短いので登れなかったのだろうと思うが、他人の調整の仕方に何言っても無駄であろう。午後は、またFire WaLLのFire show6c+に取り付く。もうつながっているので、もちろんレッドポイントする。どうやら、吠える回数が多くなってきた。たぶん周りの人はうるさいなーと思っているのだろう。

■3月23(日)
二十歳の誕生日。まだ二十歳?もう二十歳?感じ方はさまざまだが、どちらかといえば、まだ二十歳がよさそうである。6aでアップをする。今日、LalBab7a+をトライすることにする。一応、買ったガイドブックには5・11d~12aと書いてあったので、普段しないオブザベーションをした。見える範囲でのオブザベーションだったが、それだけでクライミング意欲がわくことを発見した。よし!と緊張して一発登る。結果は、7~8ピンのルートで4ピン目のボルトで落下。しかし、下部が核心であとは高度を稼ぐだけだった。とてつもなく悔しい。もちろん、LalBabは2撃で落とした。落としたとき、うれしくて大事な相棒のミウラー右をなくしてしまった。波にさらわれてしまったのだろうか? 新しい靴を買う気力もなく、それからのクライミングは持っていたスパイヤー(右側)をはいて行った。せっかくの誕生日にLalBabを落とせたことはうれしいのだが、靴をなくすとは・・・。悔しいので、Cafe andanman7bにトライ。しかし、難しくてできなかった。相田、エグさんが誕生日をandamanという店でお祝いしてくれた。
ありがとう。

■3月24日(月)
レスト日。クラビにある「さくら」という旅行代理店に行く。そこで、日本語入力できるパソコンを使用してメールを日本へ送る。そのあと、プーケット国際空港への帰り方を考えていたところ、ライレイビーチからピーピー島経由、プーケット島行きの航路をとることにし、チケットをとる。森は、タイマッサージをしてきて、からだが凄くかるくなったと喜んでいた。
まだまだ、登り足りない。もう、帰ることを考えるとはずいぶん寂しかった。
関係ないのだが、タイで出会った新婚喜多夫婦。新婚旅行ではないと言っていたが、はたしてどうなのだろう?
クラビから、トンサイビーチに戻ってくると丁度夕焼けが綺麗だった。写真を2,3枚撮る。後ろからドイツ人の女性が声をかけた。「泊まりたい場所を探しているけど、いいとこ知らない?」と聞いてきた。今宿泊しているバンガローは100Bで、相田と共有しているので1泊50Bである。そこまで、紹介してあげようとついてきなといった。しかし、バンガローの帰り道は暗く危なそうである。ドイツ人女性も急に警戒しだした。ASKを多用していた。近くの現地人に、300Bほどの近くのバンガローの受付で予約してしまった。ついていくのは危険だが、ドイツ人女性から僕に聞いただろ? と思ってしまう。まぁ、国籍なんか関係なくよくわからないものだ。

■3月25日(火)
CafeAndaman7bひとつに絞る。3回トライしたが、最後の終了点手前までテンションをかけてしまう。終了点手目が完全にルーフ状態になり体を支持できない。とりあえず、今日はその程度で終わってしまった。この日から、天気がだんだん悪くなりだしてきた。毎日、曇り。午後は雨が降ることが多くなってきた。

■3月26日(水)
Cafe Andaman7bを6撃目にしてようやくレッドポイントする。その前に、エグさんがR・Pしており自分にも緊張の波が押しよせる。しかし、気力で勝ったのか三日目にしてようやく落とせた。また、そのルートはモヒカンのドイツ人も狙っていて、ボクを含めその前に3人連続成功しているので、モヒカン君に相当プレッシャーを与えたのではないかとエグさんが言っていた。そのあと、モヒカン君もCafe Andamanを成功した。ひとつのルートに、国籍は違えど狙っている人間がたくさんいるということはとても面白いことだと思った。ただの岩だけど、登れるとうれしい。また、僕の中でこのルートはタイの一夏の欠片であった。写真でこのルートを見るだけで胸が熱くなる・・・。

■3月27日(木)
Humanity5P、5,6a+20m,6b22m,6b+25m,6b22mのオールフリーのマルチピッチにいく。一番面白いピッチは、4ピッチ目の6b+である。50mぐらいの高度に、大きく垂れ下がったつららにステミングをする。高度感満点のステミング。めちゃくちゃ怖い。でも、楽しい。しかし、クライミングの生活も明日で終わると思うと、悲しい。懸垂下降2回、50m、60mロープダブルで降りる。降りてから、Tidal Wave7b+にトライ。5ピン中4ピンまで登れるが、そのあとパワーが続かない。右足のスパイヤーが岩に決まらないが、ハングしているのであんまり関係ないか。どうも靴のせいにしてしまう。

■3月28日(金)
クライミング最終日。昨日トライしていたTidal Wave7b+を引き続きやる。結局できなかった。今日、終わりだと思うとあきらめきれない。おんなじ課題をやっていたドイツ人が「日本からタイまで飛行機でどのくらいだ?」ときいた。6時間ぐらいとこたえると、ドイツからは12時間かかるといった。また、すぐにこれるだろうと言いたかったのだろう。しかし、そこが1時間でも10分でもやり残したことがあり、それを残して帰ること自体、遠さとか関係ないのではと思ったがそんな長い英語をしゃべることはできなかった。
別れのときがきた。「また、来年もここで会いましょう」エグさんが言った。
なんてはやい時間の流れなのだろう。
しかし、僕は来年もタイに行きたいと思う。「また、会いましょう・・・」
また、会いたい人がたくさんいるこの場所へ。

現地集合、現地解散。
相田とも別れ、一人になる。

■3月29日(土)
行きは陸路、帰りはピーピー島を経由して航路でプーケット島まで行く。
朝9時15分、ピーピー島行きの船がでた。
トンサイ・ライレイビーチが遠ざかっていく。どうやら、ひとつ終わったらしい。

これから、まだ日本に帰るまで2日間ある。また、面白い出会いがあるだろう。

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