ペルーアンデス偵察 2004年8月21日~8月28日

ペルーアンデス偵察 2004年8月21日~8月28日
‥伊東(OB)、長谷川

299 302 ab054 (1) 196 123 (1)
■記録

8/21

13時成田集合、15:20CO6便に搭乗。10時間ほど乗り、現地時間14時にヒューストン空港に着く。空港内は非常に広く、売店も多くあった。約2時間待ち、リマ行きの航空機へ乗り継ぐ。乗り継ぎは比較的わかり易く、審査もあまり厳しくなかった。ただ食糧の持込があるかと聞かれただけだった。さらに6時間ほど乗り、リマへ。到着が夜の10時半だったが、空港内にはたくさんの人々が押しかけており、異様な雰囲気だった。タクシーでセントロにあるシェラトンホテルへ向かう。空港で捕まえたタクシーは英語が通じたが、多少ぼられた気がした(20ドル)。タクシーの中から街中を見る限り、夜のセントロはかなり危険そうであった。ホテルに着き、チェックインが済んで部屋に入ったのが23:20。ホテルのフロントでドルからソーレスに両替。ピスコ酒を一杯飲んで、カジノへ。部屋に戻ったのが4時。

8/22
5:30起床で、6時にホテルを出てこの日にワラスへ向かうための長距離バスのチケットを買いに行く。夜ほど危険な雰囲気ではないが街中全体が廃れて、多くの住宅が廃墟になってい、ところどころに機能している店舗があるだけであった。CRUZ DEL SURのチケットを販売している店でなんとかチケットを買うことができ、バスの待つ場所を地図で示してもらう。ホテルへ6:45に戻る。そのまま食堂へ行きバイキングの朝食を食べる。現地の料理も置いてあり、かなり独特の味がするものもあった。また日本食も置いてあり、ご飯味噌汁もあったのはちょっとうれしかった。(7:30)その後部屋に戻り支度をしてチェックアウト(8:15)。急いでバス乗り場へ向かうのだが、ホテルから多少離れており分かりにくかった。結局9時のバスに間に合わなそうだったので、道でタクシーを拾い、バス乗り場へ到着(8:50)。ここから約9時間乗り、ワラスへ向かう。途中バスから、貧民層の部落が延々と続いている場所があり、私達が一部で金を大量に落としつつこの場所を素通りしてまた山へ向かうことには心が苦しくなった。途中大きな休憩もなくワラスに到着(17:40)。当初から予定していたホテル、オスカーズに宿泊することにする。地図、ホワイトガソリンなどを探しながら街中を探索。日曜日の夜のせいか、多くの店が店を開けているわけではなかったので買いたかったものはあまり手に入らない。その後ピザ・ブルーノで夕食をとる。外国人向けの店なのでちょっと高い。ホテルに戻り就寝。

8/23
6:30ホテルを出て情報収集をする。ワスカラン国立公園管理事務所を探すが見つからず。ひとまずオスカーズの隣のレストラン(?)で朝食を取る(7:40)。その後、トポ、地図を探しつつこの日の予定であるチュルップ湖トレッキングへのタクシーを探していると、トレッキング案内をしていると思われる客引きにつかまり、そのまま140ソルで決まってしまった。10時にルズリアーガ通り沿いの店へ行き、貸切を用意してもらう。11:20にチュルップ湖へのトレッキングルートへ到着。すでにここで4000m近いのでゆっくりと歩き出したが、あまりにもまわりの景色が美しく高度のことは忘れてしまう。12:55チュルップ湖4450mへ着く。チュルップ5495mがよく見える。氷河からの水を溜めている湖は非常に澄んでいて、まさにエメラルドグリーンだ。この湖の高度では二人ともこの時点ではとくに高山病の症状は出なかった。前日にダイアモックス、酸素タブレットを飲んだからだろうか。15:00車を停めたところへ戻る。ワラスへ戻り再び地図を探す。カサ・デ・ギアスの隣に一箇所だけ地図を置いてある店があった。既にシーズンも終わりなので、どこもほとんど置いてないようだ。明日のパロン湖へのタクシーを探すためにカサ・デ・ギアスへ行く。およそのタクシーの相場を聞くことができ、さらにそこでタクシーを仲介してもらうことにした。その後中央市場の谷川さんのところへ非常時のの現地連絡先になってもらうために登山届けを預けに行った。谷川さんが私達の計画書を見て、あまりにも時間が無く余裕が無いので山をなめすぎじゃないか、と注意を促す。高度順応や事故例、氷河、気象の話を1時間ほど聞いていると、日中の疲れがどっと出たためかその場で倒れこんでしまった。今後の予定をよく考え直すように言われ、マテ茶、吐き気止めの薬をもらってその場を後にする。この日はレストランで鶏肉、ポテトを食べてすぐに宿に帰り寝る。伊東さんは翌日の朝食、ガスの準備などをしていたので、迷惑をかけてしまった。

8/24
朝5時起床。6時にカサ・デ・ギアスのマルコと約束した車が来るので、支度をしてオスカーズをチェックアウト。しかし、なかなか来ないので、日本に国際電話をかける。村上さんの携帯電話に通じることができた。とやかくするうちに車が来て100ソルを支払い、ガソリンスタンドに入り出発。ワラス~カラス間でワスカランがきれいに見えた。カラスに7:30到着。約1時間かかった。朝食を食べ8:00出発。パロン湖まで1:30ほどかかる。9:45ころパロン湖の車の終点まで着き、10:00に歩き始める。BCまで約2:00、12:00過ぎにBC着。13:30までに天候、体調を見て偵察に出ようとするが、のんびりチキンスープを作りまったりしていると、雨が降り出してしまった。この時期はまだ乾期だと聞いていたので、雨は予想外だった。その後は、テントの中で昼寝14:00-17:30、寝すぎたので夕食を作りすぐに寝ることにする。パスタ(ナポリタン)、マテ茶、紅茶を作る。ダイアモックス半錠づつ。19:30就寝。

8/25
2:30起床。予想以上に寒い。棒ラーメンを作る。
4:25出発。5:00道がわからず、明るくなるのを待つ。天候は良い。流れ星をいくつも見ることができた。5:45再び動き出す。太陽がパロン峰の真後ろから上がってきたのは印象的だ。8:00過ぎMCの手前4700m位で少し頭痛が起こる。4500m程ではほとんど症状は出ず、ただ酸素が薄いとしか感じていなかったのだが、だんだん断片的に痛み出す。息が上がると頭痛が起こり、頭痛により歩く速度が落ちた。MC4900m付近(9:00-10:00)では頭を抱え込むほど痛い。一本取った時に帰ろうかとも思ったがまだ早い時間だし、高山登る人はこれくらいはみんな我慢して登ってるんだろうと思い、続行。伊東さんは一切高山病の症状は出ていなかった。そのうち天候の雲行きが怪しくなり始める。アルテソンナフにも雲がかかり始める。5000m以上では何も考えられないほど頭痛が酷く、ただ氷河の末端まで行かなければ今回の山行の目的は達成できないという思いでなんとか登る。氷河末端5100m(12:00)到達。氷河というよりむしろ深い雪でラッセルで進むような状態であった。一番驚いたのは、トポに掲載されていたよりも氷河がかなり後退していたことだ。帰り道はまたさらに辛かった。休憩は構わずにとりあえず高度を下げて頭痛を和らげようとした。しかし相変わらずの巨大な浮石と、傾斜の急なガレ場で思うようにいかない。それにぱらぱらと雪も降ってくる。MC12:45-13:00。4500m付近で少しは頭痛が収まってくるがまだ痛く、一本休憩を取るよりも少しでも高度を下げたいと思った。4300mではかなり良くなってきた。テント着16:00。少しの間安静にしていると、全く問題が無いほどになった。牛丼、マテ茶、チキンスープを作る。20:00過ぎにシュラフに入る。

060

8/26
6:30頃起床、ベースキャンプにピラミデ峰からの光が差し込んだころ、アルテソンナフをもう一度最後に見るために散歩に出かける。いつかまた、ここからあの山へ登ることができるだろうかと考えながら写真を撮りテントに戻る。朝食に棒ラーメンを食べた。その後テントを撤収し、パロン湖入り口の車道に11時の約束の時間に間に合うように出発(9:00)。車に乗りパロン谷を下る。カラスの町を通り過ぎ、ワラスへ戻る。車の中ではうつらうつらとしていた。ワラスに入り、今日泊まるEl Tumiというホテルに入った。ロビーのテレビではオリンピックをやっていた。自由に飲めるマテ茶がおいしかった。また、インターネットが自由に使える部屋があったので山岳部のページに書き込んでみる。その後、谷川さんのところへ下山の報告をし、この後はおみやげ探しに。ルズリアーガ通り沿いの路地に入ったところなどに面白いお土産屋があった。その後は山のトポを探す。詳しい地形図は無いので、もっとも役に立つ情報はトポである。夕食は鶏肉を食べた。スペイン語でポヨと言うらしい。泊まったホテルは英語が通じ、設備もまあまあであったがあちらこち壊れているのが気になった。

8/27
朝食をアルマス広場の向かいにあるレストランで食べる。最後の買い物をしていると、なにやらマーチング・パレードのようなものが始まっている。この町のメインストリートにルズリアーガという名前がついているのだが、この人の関係の記念日のようだ。とても大きなセレモニーで、町中の子ども達が参加しているようだった。11時にCRUZ DEL SURのバスが出るので、ホテルに戻り支度をしてバスの発着場へ急ぐ。ここから再びリマへ。バスを降りたところはセントロとミラフローレスの間辺りで、ここからタクシーに乗りミラフローレスにある日本料理店へ行き夕食をとった。店の主人が言うには、ミラフローレスは治安は比較的いいそうだ。セントロのシェラトン前の通りには最高裁などがあり、デモが起こると交通が麻痺するし、危険とのことだった。たしかにミラフローレス地区の方が町に活気があるし安全そうだ。そのままここから空港へタクシーで行く。それにしても街中の交通渋滞はすごかった。夜に出歩くわけには行かないので、空港に着きすぐにチェックインして荷物を預け、ドーナッツを食べてゆっくりする。日本人観光客が多かった。23:55にリマを出発して再びコンチネンタル航空の本拠地であるヒューストン空港へ向かう。

8/28
ヒューストンには約6時半に到着。リマとヒューストンはタイムゾーンが同じである。英語のアナウンスがちょっと懐かしい。徐々に飲食店が開き出す。ホットドッグがおいしかった。10:50にヒューストン発の航空機に乗るのでそれまで時間をつぶす。そこでまたインターネット。そうこうするうちに搭乗して出発です。飛行機の中では特に何もなかったが、行きも帰りも中央の列だったので外が見れなかった。ちょっと悔しい。日本時間で29日15:00成田に到着。飛行機に乗っている間に一日過ぎてしまったような損した気分。ともかく無事に帰ってくることができた。

感想
今回、初めて部の力をお借りして海外遠征の為の偵察を無事に終わらせることができた。伊東さんはもちろんのこと、バックアップをしてくださった方々にお礼を申し上げたいです。ありがとうございました。
今回の旅は移動時間が多かった。一週間ほどの期間だったが、もう少し現地でゆっくりできたならばずっと良かっただろう。計画が慌ただしすぎたのは確かであるが、自分の高度順応の限界もわかったし、当初の目標であったC1(5100m)までの実地踏査もなんとかこなすことができたのでよい成果が出たと思う。今回の偵察により、大きな足掛かりができた。来年、再来年とより大きな目標を掲げるのであれば、何が必要であるかも少しずつ見えてきたように感じる。そして、あの山々に挑むのは十分に価値があると確信している。

関連した山行記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください