黒部川上ノ廊下 2001年7月30日~8月4日

●伊東晃男・古城海太

空、雲、岩、雪、水、土、そして太陽・・・・・・ そんな要素が一所に集まった時、その場に居合わせた人間は至福を感じる。ここはなんと日常とかけ離れていることだろう。人間の幸福とは、自分にとっての幸福とは・・・自己満足であることに変わりはない。自然が何も考えずに生み出しているものにただ自己満足しているに過ぎない。自然が何も考えずにこの世に生み出したことに自己満足させてくれているのもやはり何も考えていない自然そのものであることを考える。
人は苦難に見舞われた時に神を信じる。自分の中の神を信じることで強く生き続けようと願うからだ。イスラムの人は貧しい。貧しくつらい生活の中、神を信じることで強く生き続けようとする。そして苦しさ極まる時、神は唯一の希望となり、そんな神を否定する異文化の人間を唯一生き続ける方法として傷付けようとする。アフガニスタン。旧ソ連から受けた軍事攻撃に10年間立ち向かい、それを撃退した国。その誇り高さや信仰は平和ボケの日本人には到底理解できるものではない。
そんな日本人の一人である僕。しかし、自分が今、生きていることを感謝した瞬間、神を身近に感じる自分がいた。
黒部川上ノ廊下・・・・・・3年前、厚木の部室で初めて見た写真はたしかスノーブリッジを間近に見上げた恐ろしげな様相を呈していた。そういえばその頃はチンネと共に大学時代に一度は行ってみたいと思っていたのだ。しかしそのくせ、忘れていたのはなぜだろう、思い出せない。ま、この3年間、色々あったからなあ。そんな色々あった大学時代5回目の夏に選んだのは5年前とたいして変っていないように見える古城との上ノ廊下遡行である。

7月31日(晴)
8:30黒四ダム-13:00平の渡し-14:30針ノ木谷出合-17:30奥黒部ヒュッテ
天気は良い。しかしこんなに重いのは久々だ。ビール1ダース、ワイン1.5Lにカルピス原液、豆腐一丁・・・・・・あたりまえか。それにしても汗が滝のように出るわ出るわで止まらない。ふと横を見ると遊覧船が涼しそうに走っていく。「だいたい遊覧船が奥黒部ヒュッテまで行ってくれりゃいいんじゃ」とか文句言いながらも観光客に思いっきり手を振ってる僕がいる。渡し舟に乗り対岸に渡るとますますアップダウンが激しくなる。「頑張るんだ! 焼肉が俺らを待ってるぞ」と古城を励ましたかどうかは忘れたが、古城はちょっとばかり?バテ気味。奥黒部ヒュッテに着いたのは日が落ちて辺りが暗くなる頃であった。

8月1日(晴)
少し早い古城への誕生日プレゼント=停滞

8月2日(晴)
7:30奥黒部ヒュッテ-12:00黒五ダム跡-16:30立石
「まだ寒いよう」朝食を済ますが、テントで丸くなる僕。時間にうるさい古城がちょっと怖い目で僕を見ながら外で体操してる。「行かねば男なら!」決意した時はすでに7時を過ぎていた。出合に下りてみたところ、水量は普通。問題は無さそうだ。ちょっと歩くと釣り人がいる。中学生かな。子供っぽい。「釣れますか?」「イヤー明るくなるとだめですね」。この人たちを最後にこの日は他の人に会ううことはなかった。30分ほど歩くといよいよ両岸が切り立ってくる。下の黒ビンガだ。「おお-っ」思わず唸る。300m近くあるだろうか。ハング帯を連ねた硬そうな岩壁だ。登られてるんだろうな。ちょっとはパイオニアスピリットが僕の中に存在していることを確認できた。ちょっとアブなめの徒渉を繰り返すこと半時、深めのへつりと急流が現れる。「やだなぁ、寒いなぁ」(トラウマからか?)水を恐れる僕は思わず高巻く。すると・・・・・・降りられなくなってしまった。飛び込むしかない! これって人生最大のピンチってやつじゃねぇか? とかいって自分を演出してみたりするがどーも飛び込む勇気が湧かない。いやこんなピンチを乗り切ってこそ晴れて来年から社会人になれるんじゃねぇか? いざ、ジャーンプ! 人生の大ジャンプを果たした僕を古城も笑顔で称えてくれた。そんな僕の馬鹿なS字廊下での一幕を過ぎると沢は一気に広がる。黒五ダム跡と言うやつだ。でかい! でかすぎる。ここはいったい、日本なのだろうか? はるか後、豆粒のように見えるやつ、それが古城だったりする。このあと金作谷出合付近でちょっと泳ぎがあったが詳しくは忘れてしまった。立石はちょっと小高くなったところで焚き火して寝た。

8月3日(晴)
7:50立石-12:00薬師沢小屋-15:30祖父平
奥ノ廊下と呼ばれる立石から先の黒部は上ノ廊下のミニチュア版。しかしこじんまりとしたその景観は上ノ廊下よりも日本的といえるかもしれない。後で気づいたが僕らがその突出しすぎている容姿がために立石奇岩(約40mの岩塔)を見落としていたらしい。薬師沢小屋を過ぎると沢はますます狭く小さくなってくる。と前方からサングラスをかけた女性が近づいてくる。おっ逆ナンか?と期待したのも束の間、「登山届は出してますか?」と無愛想な顔で聞かれる。「あんたねえ、人に話し掛ける時くらい、サングラス外しなさいよぉ」と言おうと思ったが、通報されてもいやなのでおとなしくしていた。1時間ほどすると美しいエメラルドグリーンのプールが現れる。赤木沢出合だ。ここから本流は源流部に入ってゆく。単調な川原歩きに眠気が差してきた頃、祖父平に到着。古城が○○を踏んだようだが、今日も無事に行動を終え、ツエルトを張ることができた。今日も焚き火。ああ焚き火で点火する煙草はなんと芳しいことか。

バチバチと焚き火の音にニコチン天国 (字余り)

8月4日(晴のち曇)
5:00祖父平-8:00岩苔乗越-9:00水晶小屋-13:00赤牛岳-17:30奥黒部ヒュッテ
久々に朝早い。黒部川源流最初の一滴を求めて、いざ出陣。「最初の一滴はビールだったりして」とか馬鹿な冗談を言ってると上空からヘリコプターが近づいてきた。すぐに言ってしまったが、また旋回して僕らの方へ近づいてくる。4~5回僕らの上を飛んだろうか。どうも僕らが遭難者に見えるらしい。しばらくしたらどこかへ行ってしまった。岩苔乗越に出ると久々に山の風を感じる。水晶小屋の前で休んでいると小屋からご主人だろうか、伊藤博文に負けない長いひげを蓄えた長老が出てきて、「東沢?上ノ廊下?」と聞いてきた。「上ノ廊下」と無愛想に答えると「水量は?」と聞いてくる。「少ないと思います」「そうか少ないかぁ」遠くを見つめたその目には何が映っていたのであろうか。勝手な想像を掻き立てていると長老はさっさと中へ入って行ってしまった。水晶のピークは3m下を通過。古城は興味がないらしい。「一応、百名山だぞ」と僕は言うが相手にしてもらえない。赤牛岳手前で雨が降り出す。雨具も着ないで先を急いでいると、前方にツエルトにくるまった団子(ヘルメット)三兄弟が現れる。我らがAACのA隊ではないか。しかし、再会を喜び合うには雨が強すぎたので先を急ぐことにする。樹林帯に入りA隊三人も降りてきてようやく顔を合わせる。三人とも泥を塗ったように汚いが、元気そうだ。しかしこうやって仲間と再会できることは本当に嬉しい。三人とも何かとてつもなく強くなって帰ってきたような気がしてしまう。だるくかったるい樹林帯を下りきって奥黒部ヒュッテに到着。するとOBの金子さんが一足早く上ノ廊下遡行を終わらせて帰ってきていた。聞くところによると、立石から赤牛岳直上を果たしたそうで、心身ともに充実?した様子であった。

(記:伊東)

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